2014年08月26日
「人に期待しない」という事
最近、気がついたが。私、まわりの人間に期待しないことが多い。(普通の人間関係での話し)
ちなみにこの考え方は会社組織のように「上司、部下」という関係性があり、結果を出さなければいけない、という環境ではちょっと、当てはまらないかもしれない。
というもの、部下は上司の(会社の)命令通りに動き、結果を出さなければいけないから。
「なにも期待しない」のは今まで期待すると裏切られることが多かったから。でも「他人に期待するという事自体、自分勝手である」ということにも気がついた。
要するに「まわりの人に期待するということは、自分のまわりの人が自分の思い通りに(期待通りに)行動してくれてあたりまえ」という考え方だ。
そんな考え方自体、ムリがあるし、そんな事あるわけないと考えが変わった。(フツーの人間関係ではね)
人は普通、みんな自分の事しか考えていないのだ。自分中心に考えているから「他人がどう考え、どう行動してほしがっているか?」なんて考えもしない。
だから、わかってもらえず、期待はずれなことがあっても当たり前なのだ。それを「裏切られた!」というほうがおかしい、と思うようになってきた。
また、よく思うのは「人は他の人が言った事を必ず100%、理解しているとは限らない」という事に気がついた。
人はそれぞれ生きてきた環境(過程)がみんな違うので、理解の仕方も違うのだ。だから、私が言っていることを「100%、わかっていなくても、しょうがないのだ」と思うようになってきた。
ただ「どうしても、その人にわかってほしい」と思う時は「どうしたら、この人に話しをわかってもらえるだろうか?」ということを、念入りに念入りに、考える。
まず、やることは話す時「目線は高みから見下さないように、なるべく対等の立場に立って、話すようにする」
人は「見下されている」という事がわかると、人の話しなんて聞かないもんだ。
また、「見下されながら言われることは命令に近い」と思う。
人の命令なんて、聞きたくないずだ。(会社じゃない限り)
そしてまた、年令的に「年長者」は「年少者」を「自分は年令が高い」というだけで、見下すクセがついている。
そんな気がなくても良識ある年少者は、自分より年令が高い「年長者」をちゃんと敬ってくれたりする。
それに甘えてはいけない。
だから、私は自分より年令の若い人と接する時は「なるべく対等になるよう、見下さないよう」しゃべるようにすごい、気をつけている。
その後、言うべき話しを細かく砕いて理解しやすく(消化しやすく)し、「例え話」を入れたりして「なるべくわかりやすくする」という事を心掛け、途中
「何かわからないこととか、ありますか?」
「なにか気になることとか、ありますか?」
と(必要なら)質問して、(確認し)終了する。
前に「人付き合いは水のように付き合うといい」というような事を書いてが「人に期待しない」という事もその意味の範疇に入っていると思う。サラッとしているから。
ただ、こういう風に「人に期待しない」と言うとやっぱり「冷たい人」と思われるだろうなあ。
そんな事ないんだ。
人に対し、期待しない分その人を束縛しないし、その人に(自分の言いたいことを)理解してもらうために、その時その時自分なりに努力し、しゃべるようになった。(人によって、どうでもいいや、と思った時は適当にしゃべるけど)
また人が話しをしている時「この人は私に(本当は)なにが言いたいのか?」と一生懸命聞くようになった。たぶん、とても熱心に聞いていると思う。井戸端会議でも。
「私さん、カウンセラーだから、カウンセリングの要領で、ふだんも聞けばいいんじゃないの?」
と思うかもしれない。
でもね、「カウンセリングのやり方」でフツーのおしゃべりを聞くと、「とても不自然」なの。あれは普段は使えない。また、使わない方がいいと思う。同じ事を明治大学教授の斉藤 孝氏も言っていたから、間違いないと思う。
私は「カウンセリング」の時と「普段のおしゃべり」の時の「話しの聞き方」は変えてます。
人の話しを聞きながらももちろん、「笑顔」は絶やさない。
この「他人に期待しない」という考え方はとても「知的な大人」だという感じがする。
子供はなんでも自分の思い通りにならないとイヤだけど、知的な大人だから他人を操作しようとしていない。
好きにさせている。
うん、これはやはり「水」だと思うよ。
ちなみにこの考え方は会社組織のように「上司、部下」という関係性があり、結果を出さなければいけない、という環境ではちょっと、当てはまらないかもしれない。
というもの、部下は上司の(会社の)命令通りに動き、結果を出さなければいけないから。
「なにも期待しない」のは今まで期待すると裏切られることが多かったから。でも「他人に期待するという事自体、自分勝手である」ということにも気がついた。
要するに「まわりの人に期待するということは、自分のまわりの人が自分の思い通りに(期待通りに)行動してくれてあたりまえ」という考え方だ。
そんな考え方自体、ムリがあるし、そんな事あるわけないと考えが変わった。(フツーの人間関係ではね)
人は普通、みんな自分の事しか考えていないのだ。自分中心に考えているから「他人がどう考え、どう行動してほしがっているか?」なんて考えもしない。
だから、わかってもらえず、期待はずれなことがあっても当たり前なのだ。それを「裏切られた!」というほうがおかしい、と思うようになってきた。
また、よく思うのは「人は他の人が言った事を必ず100%、理解しているとは限らない」という事に気がついた。
人はそれぞれ生きてきた環境(過程)がみんな違うので、理解の仕方も違うのだ。だから、私が言っていることを「100%、わかっていなくても、しょうがないのだ」と思うようになってきた。
ただ「どうしても、その人にわかってほしい」と思う時は「どうしたら、この人に話しをわかってもらえるだろうか?」ということを、念入りに念入りに、考える。
まず、やることは話す時「目線は高みから見下さないように、なるべく対等の立場に立って、話すようにする」
人は「見下されている」という事がわかると、人の話しなんて聞かないもんだ。
また、「見下されながら言われることは命令に近い」と思う。
人の命令なんて、聞きたくないずだ。(会社じゃない限り)
そしてまた、年令的に「年長者」は「年少者」を「自分は年令が高い」というだけで、見下すクセがついている。
そんな気がなくても良識ある年少者は、自分より年令が高い「年長者」をちゃんと敬ってくれたりする。
それに甘えてはいけない。
だから、私は自分より年令の若い人と接する時は「なるべく対等になるよう、見下さないよう」しゃべるようにすごい、気をつけている。
その後、言うべき話しを細かく砕いて理解しやすく(消化しやすく)し、「例え話」を入れたりして「なるべくわかりやすくする」という事を心掛け、途中
「何かわからないこととか、ありますか?」
「なにか気になることとか、ありますか?」
と(必要なら)質問して、(確認し)終了する。
前に「人付き合いは水のように付き合うといい」というような事を書いてが「人に期待しない」という事もその意味の範疇に入っていると思う。サラッとしているから。
ただ、こういう風に「人に期待しない」と言うとやっぱり「冷たい人」と思われるだろうなあ。
そんな事ないんだ。
人に対し、期待しない分その人を束縛しないし、その人に(自分の言いたいことを)理解してもらうために、その時その時自分なりに努力し、しゃべるようになった。(人によって、どうでもいいや、と思った時は適当にしゃべるけど)
また人が話しをしている時「この人は私に(本当は)なにが言いたいのか?」と一生懸命聞くようになった。たぶん、とても熱心に聞いていると思う。井戸端会議でも。
「私さん、カウンセラーだから、カウンセリングの要領で、ふだんも聞けばいいんじゃないの?」
と思うかもしれない。
でもね、「カウンセリングのやり方」でフツーのおしゃべりを聞くと、「とても不自然」なの。あれは普段は使えない。また、使わない方がいいと思う。同じ事を明治大学教授の斉藤 孝氏も言っていたから、間違いないと思う。
私は「カウンセリング」の時と「普段のおしゃべり」の時の「話しの聞き方」は変えてます。
人の話しを聞きながらももちろん、「笑顔」は絶やさない。
この「他人に期待しない」という考え方はとても「知的な大人」だという感じがする。
子供はなんでも自分の思い通りにならないとイヤだけど、知的な大人だから他人を操作しようとしていない。
好きにさせている。
うん、これはやはり「水」だと思うよ。
Posted by 幸男 at 19:03