2014年09月08日

「怒りの方法」という本

「怒りの方法」… 辛 淑玉(シン・ス・ゴ)著 岩波新書(700円)を読んだ。

私、ただいま「怒りの感情の出し方、受け取り方」を勉強中。これが、2冊目になる。

本の内容はかなり暗く、おもい。本の3分の1は、シンさんの生い立ちだ。

「日本で暮らす朝鮮人がどこにいっても受ける、容赦ない差別と常に戦ってきた強さ」がひしひしと伝わる。

自分自身が叩かれ、ぼろぼろの状態だろうに「私は常に女性や社会的弱者の味方をする」というスタンスは圧倒されるぐらいの強さを感じる。

「家が貧しかったので6歳の頃から、働いたお金は家に入れていた」というくだりには、胸が痛む。

シンさんはたぶん、この頃から家族を(自分のまわりの人たちを)支えていたのかもしれない。

シンさんの場合は「怒りの歴史が長く、また普通の人より険しい道のりだった」ように見える。

だからかもしれない。本の中では、いろんな実話を参照し「机上の空論」にならないよう、現実に対処できるよう、よく配慮がされている。

サラッと読めるのに「中身はとても濃い」という感じ。

女性だけでなく、男性が読んでも、とても役に立つと思う。

「怒りの対処法」がわかりやすく書いてある。人によって「怒りのハードルやつまづきやすい所」は違うので、自分に今必要な技術はなんなのか?よく考えながら読むといいかもしれない。

○怒りをうまく相手に表現する、または受け取る、という技術はとても、とても難しいコミュニケ—ション技術○

本の中に「ネゴシエーション(交渉)がうまい人は怒りの表現もうまい」と書いてあったが、ホントそうだと思う。

私も交渉の勉強をするようになってから、コミュニケ—ションがうまくなった。

「交渉は最初からお互いの利益の不一致が前提で始まる。そして自分が望むような解答を得るための技術」だから「自分の怒りを相手にわかってもらう」のも技術的に慣れているんだと思う。

「心理学者が書いたコミュニケ—ションスキルの本は(現実には)あまり役に立たない」と(悲しく)思うことがある。

残念だけど。シンさんみたいに現実に苦悩を重ね、心が血まみれになりながら、スキルを習得した人が書いた本のほうが圧倒的に役に立つ事が多い。

怒りの感情は一生、自分自身が付き合っていかなければいけないもの。

ずうっと押し殺していては、「自分が自分であること」ができなくなる。そして他人の怒りにも鈍感になり、つまらない人間になる。要は「使い方」なんだと思う。

この本、読んで損はない。私、オススメです。  


Posted by 幸男 at 16:57

2014年08月26日

「人に期待しない」という事

最近、気がついたが。私、まわりの人間に期待しないことが多い。(普通の人間関係での話し)

ちなみにこの考え方は会社組織のように「上司、部下」という関係性があり、結果を出さなければいけない、という環境ではちょっと、当てはまらないかもしれない。

というもの、部下は上司の(会社の)命令通りに動き、結果を出さなければいけないから。

「なにも期待しない」のは今まで期待すると裏切られることが多かったから。でも「他人に期待するという事自体、自分勝手である」ということにも気がついた。

要するに「まわりの人に期待するということは、自分のまわりの人が自分の思い通りに(期待通りに)行動してくれてあたりまえ」という考え方だ。

そんな考え方自体、ムリがあるし、そんな事あるわけないと考えが変わった。(フツーの人間関係ではね)

人は普通、みんな自分の事しか考えていないのだ。自分中心に考えているから「他人がどう考え、どう行動してほしがっているか?」なんて考えもしない。

だから、わかってもらえず、期待はずれなことがあっても当たり前なのだ。それを「裏切られた!」というほうがおかしい、と思うようになってきた。

また、よく思うのは「人は他の人が言った事を必ず100%、理解しているとは限らない」という事に気がついた。

人はそれぞれ生きてきた環境(過程)がみんな違うので、理解の仕方も違うのだ。だから、私が言っていることを「100%、わかっていなくても、しょうがないのだ」と思うようになってきた。

ただ「どうしても、その人にわかってほしい」と思う時は「どうしたら、この人に話しをわかってもらえるだろうか?」ということを、念入りに念入りに、考える。

まず、やることは話す時「目線は高みから見下さないように、なるべく対等の立場に立って、話すようにする」

人は「見下されている」という事がわかると、人の話しなんて聞かないもんだ。

また、「見下されながら言われることは命令に近い」と思う。

人の命令なんて、聞きたくないずだ。(会社じゃない限り)

そしてまた、年令的に「年長者」は「年少者」を「自分は年令が高い」というだけで、見下すクセがついている。

そんな気がなくても良識ある年少者は、自分より年令が高い「年長者」をちゃんと敬ってくれたりする。

それに甘えてはいけない。

だから、私は自分より年令の若い人と接する時は「なるべく対等になるよう、見下さないよう」しゃべるようにすごい、気をつけている。

その後、言うべき話しを細かく砕いて理解しやすく(消化しやすく)し、「例え話」を入れたりして「なるべくわかりやすくする」という事を心掛け、途中

「何かわからないこととか、ありますか?」

「なにか気になることとか、ありますか?」

と(必要なら)質問して、(確認し)終了する。

前に「人付き合いは水のように付き合うといい」というような事を書いてが「人に期待しない」という事もその意味の範疇に入っていると思う。サラッとしているから。

ただ、こういう風に「人に期待しない」と言うとやっぱり「冷たい人」と思われるだろうなあ。

そんな事ないんだ。

人に対し、期待しない分その人を束縛しないし、その人に(自分の言いたいことを)理解してもらうために、その時その時自分なりに努力し、しゃべるようになった。(人によって、どうでもいいや、と思った時は適当にしゃべるけど)

また人が話しをしている時「この人は私に(本当は)なにが言いたいのか?」と一生懸命聞くようになった。たぶん、とても熱心に聞いていると思う。井戸端会議でも。

「私さん、カウンセラーだから、カウンセリングの要領で、ふだんも聞けばいいんじゃないの?」

と思うかもしれない。

でもね、「カウンセリングのやり方」でフツーのおしゃべりを聞くと、「とても不自然」なの。あれは普段は使えない。また、使わない方がいいと思う。同じ事を明治大学教授の斉藤 孝氏も言っていたから、間違いないと思う。

私は「カウンセリング」の時と「普段のおしゃべり」の時の「話しの聞き方」は変えてます。

人の話しを聞きながらももちろん、「笑顔」は絶やさない。

この「他人に期待しない」という考え方はとても「知的な大人」だという感じがする。

子供はなんでも自分の思い通りにならないとイヤだけど、知的な大人だから他人を操作しようとしていない。

好きにさせている。

うん、これはやはり「水」だと思うよ。  


Posted by 幸男 at 19:03

2014年07月24日

「怒る技術」という本

「怒る技術」… 中島 義道著、角川文庫(438円)を読んだ。

とても単純に感想を言ってしまうと「すんごい!参考になった。読んでよかった」という一言に尽きます。

日本では「怒る人」=「悪い人」になってしまう。

でも国によっては「怒らないと自分の権利を剥奪され、理不尽なことを要求されてしまうので、『怒る事がフツーに行なわれている』国もある」ということを知った。

また「怒る」という事は「負の感情」と言われているけど、でも誰でも怒りたくなることはあるはずだ。

でもその「怒り」を押さえ込み、なかったものにしてしまう、この風潮はいつまでたっても「怒りの感情の扱い方がわからない状態」のままとどまる事になってしまう。

パソコンの使い方を練習しないと、いつまでたってもうまくならないよう「怒る技術」を習得しようとしないと、いつまでたっても「怒り方がわからない、うまくならない」ということになってしまう。

そこでこの本は「怒り方」から「相手の怒りの受け止め方」まで書いてあります。

中島先生は哲学者ですが、日常生活でも常に「怒っている」そうです。日々実践してるんですね。

すごいなあ。怒り方も慣れるとうまくなるそうです。実は私もこの本を読んでからちょっとだけ実践し始めてます。

また「コミュニケーションスキル」の中で「自分の怒りをコントロールして相手に怒りを表明する技術」が一番、難しい。

「アサーション(アサーティブ)」というコミュニケ—ション技術があるけど、それを習ったとしても難しいと私は思った。

私が一番難しさを感じるのは「怒り(不愉快さ)を丁寧に(アサーションを使って)表明したにもかかわらず、『相手は無視する』もしくは『こちらが望むような解答が得られない』とさらに

怒りが増幅し、自分でも『もお!どうしようもないぐらい怒ってしまう』ということがたびたびあり、(自分自身)恐くて怒れなかった。

でもこの本では「怒りを(丁寧に)表明したとしても70〜80%、聞き入れてはくれないものを、認識しておく事が重要です」と書かれていて「やっぱりそうかあ、その認識がなかったからアサーションを使っても『難しい!』と感じたんだなー」と、とても納得しました。

実は「アサーション」はとてもとても、礼儀正しい怒りの表現方法。

でも世の中にはそれを使ってもわかってくれない人がたくさんいる。

「アサーションを使ってもわかってもらえない…。こういう場合はどうすればいいの??」っていつも悶々としてました。

さすがだ!中島先生。日々怒りを実践しているだけはある。

私はこの本を読んでから「誰からも好かれる善人」でいる事も辞めてしまいましたね。(だいぶ前から辞めてるけど)

誰からも好かれるなんでそんな事ムリだから。

もちろんどんな人にも不愉快な思いはさせないという「良識」は持ち合わせ、私なりに努力はするけど、でもどうしてもできない場合。(どうしてもその人と合わない時)は「いいやっ」って感じで投げてます。

もっと分かりやすく言うと、「自分はまわりに対し、良識(愛情)をもって接するが、誰からも好かれようという期待はしない」ということだと思う。

ただ、やはり例外はあって「自分より年下、もしくは社会的に弱い立場の人」にはやさしい目でみるようにはしている。(当たり前か)

でもこの社会は弱い立場の人ほど、(強い人からの)怒りの標的になりやすい。

それに関しては、またおちおち考えていこうかと思う。

親密な関係の場合、相手に不愉快さや怒りを表明するのは、まず土台に「その人に対する愛情」がないと成り立たないと感じることがある。

その人に嫌われるかもしれない。でもその人の全体が嫌いなのではなく、その一部分が嫌いなだけでそれさえなければ、その人のことが好きなのだ。そこを強調するといいのではないかと思うけど。

理想的ないい方をすれば「その人に愛情を感じさせるような怒り方」がいいんだろうなあ、と思う。

私のとりあえず、この本を読んで習得したことは「誰からも好かれようとは思わないが、どんな人に対しても愛情を持って接し、そして愛情を感じさせるような怒り方をする」(すごい理想論!)

できないかもしれない…。でもまあ、「怒り方」っていろんな「怒り方」があっていいと思うわ。

「とりあえず、怒る!自分の欲求を言う」という初歩的な怒り方が精一杯の時もあるだろうし、それはそれでいいと思う。やっぱり練習しないとうまくはならないからね。

私、ただいま「日々、怒りの出し方」実践中です。  


Posted by 幸男 at 02:01Comments(0)

2014年03月03日

くるくる

私、頭が「ミュージカル・アニー」みたいな感じで「クルクル」してるんだけど、今日行ったスーパーのレジで知らないおばさまに声をかけられた。

レジで買い物カゴを持って、フツーに並んでいたら、アバウト65歳のおばさまが私を見るなり

「まあーーー!、すごい、クルクルしてるわ!!」

といきなり声をあげた。驚きながらも笑ってたような気がするが。

たまーに電車とか乗っていてもアバウト70歳のおばあさまにも同じような事を言われることはあった。

たいがい

「まあーーー! クルクルしてるわ!!」

とみんなおもしろいぐらい同じセリフを言う。

「クルクル」が珍しいみたいだなあ。あの年令は。

「あーいう髪型はめんどくさいから、自分ではやらないけど、人がやっているのを見るのは楽しいわ♡」という感じかもしれない。

実際、私は美容院に行っても美容師さんに「クルクルでお願いしますねっ!」と言うしなあ。

メールとかでも

「頭クルクル♡ 頭の中も、クルクルしている私でーす!」

って打つしなあ。(これで、笑いも取れるしなあ)

しばらく、飽きるまでこの「クルクル」でいこうかなあ。

「美容師泣かせの髪型」なんだけどね。  


Posted by 幸男 at 03:17